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最終更新日 2025年11月30日 


 

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百人一首第43句 2025年11月30日(日) 21時50分  
このシリーズでは百人一首を順に解説していきます。
ゆくゆくは百首全ての解説を目指します。

[ 番号 ]
第四十三句

[ 歌 ] 
逢ひ見ての 後の心に 比ぶれば 昔はものを 思はざりけり

[ かな ]
あひみての のちのこころに くらぶれば むかしはものを おもはざりけり

[ よみ ]
あいみての のちのこころに くらぶれば むかしわものを おもわざりけり

[ 現代語訳 ]
あなたと契りを結んだ後に比べれば、昔の私はあなたが愛しいと思っていなかったようなものだ(昔の思いなど思っていなかったのも同然と言えるくらいに、会ってみて尚愛しくなった)

[ 品詞分解 ]
逢ひ見/て【マ行上一段活用動詞「逢ひ見る」連用形+接続助詞】 の【格助詞】   後【名詞】 の【格助詞】 心【名詞】 に【格助詞】   比ぶれ/ば【バ行下二段活用動詞「比ぶ」已然形+接続助詞】   昔【名詞】 は【係助詞】 もの【名詞】 を【格助詞】   思は/ざり/けり【ハ行四段活用動詞「思ふ」未然形+打消の助動詞「ず」連用形+過去の助動詞「けり」終止形】

[ 文法 ]
・「見る」は現代でも使う動詞であるが、古文の世界では意味が広く、単に目にするだけではなく「会う」「結婚する」といった意味も持つ。

[ 読み人 ]
権中納言敦忠(ごんちゅうなごんあつただ) [男性]
権中納言は官職名で、苗字は藤原である。三十六歌仙の1人。官職としても出世したが短命であった。和歌や琵琶の力量に長けており、多くの歌が残されている。

[ 決まり字 ]
2字

[ 解説 ]
相手に対する深い恋心を詠んだ歌。平安時代の貴族の恋愛は、会う前に、手紙のやり取りから始まることが多かった。そして、実際に会ってみて、尚強くなった恋心を詠んだのがこの歌である。実際に会う段階は平安時代の貴族の恋愛においてはかなり進んだ状況で、この場合、「逢ひ見て」は、恋人同士の契りを交わすことを指す。実際は、逢う前にも相手を想っていたはずなのだが、実際に深い仲になった後の思いに比べれば、以前の悩みなど取るに足らなかったと、あとから振り返っている。恋が深まれば深まるほど、それに比例して深まる相手への思いを巧みに詠んだ歌である。
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百人一首第42句 2025年10月31日(金) 22時57分  
このシリーズでは百人一首を順に解説していきます。
ゆくゆくは百首全ての解説を目指します。

[ 番号 ]
第四十二句

[ 歌 ] 
ちぎりきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは

[ かな ]
ちぎりきな かたみにそでを しぼりつつ すゑのまつやま なみこさじとは

[ よみ ] 
ちぎりきな かたみにそでお しぼりつつ すえのまつやま なみこさじとは

[ 現代語訳 ]
約束しましたよね、お互いに涙で濡れた袖を絞りながら。末の松山を波が越すことがないように、この愛も永遠であると。

[ 品詞分解 ]
ちぎり/き/な【ラ行四段活用動詞「ちぎる」連用形+過去の助動詞「き」終止形+終助詞】 かたみに【副詞】 袖【名詞】 を【格助詞】  しぼり/つつ【ラ行四段活用動詞「しぼる」連用形+接続助詞】  末の松山【名詞】  波【名詞】 越さ/じ/と【サ行四段活用動詞「越す」未然形+打消推量の助動詞「じ」終止形+格助詞】 は【係助詞】

[ 文法 ]
・初句切れ
・本来の文の順番は「かたみいに袖をしぼりつつちぎりきな」。倒置法。
・本歌取り。「君をおきて あだし心を 我がもたば 末の松山浪もこえなむ 」という古今和歌集の歌を本歌取りしている。「もし私が浮気心を持つなら、末の松山を波が超えてしまうだろう」という意味の歌だが、実際は、末の松山は海よりも高い場所であるため、波が超えることはありえない。つまり、浮気心を持つことなどあり得ないという歌である。このように約束したのに…と嘆いているのが今回の歌。本歌取りとは、元となる歌を知っていると更に深く歌を理解できる技巧である。

[ 読み人 ]
清原元輔(きよはらのもとすけ) [男性]
清少納言の父。三十六歌仙の1人。九州の地方官僚を長く務めており、80歳以上まで生きたという、当時としてはかなりの長寿であった。熊本に清原神社という神社があり、そこに祭られている。

[ 決まり字 ]
4字

[ 解説 ]
この場合の「ちぎり」とは2人で愛を誓う契り(約束)という意味で「約束しましたよね?」と、かつて誓いを交わしたことを歌の最初に確認している。「かたみに袖をしぼりつつ」は「お互いに(涙で濡れた)袖をしぼりながら」と言う意味で、別れがつらくて出た涙で袖が絞れるほどに濡れてしまっているという大げさな表現であるが、平安時代の和歌ではよく用いられている。「末の松山」は陸奥(宮城県)にある名所で、「波が越えない」と古くから詠まれてきた不変の象徴。その「波越さじとは」は、「波が越えないように、我らの契りも変わらない」と誓ったことを指しています。「あれほど固く誓ったのに、あなたの心は変わってしまったのですね」と、相手の裏切りを恨む恋の嘆きを詠んでいる。

 
無題 2025年09月30日(火) 00時53分  
熱を測ったら39度3分ありました。流石に39度を超えると体がキツい。皆様もご自愛ください。

 
あさがお 2025年08月31日(日) 23時58分  
少し前に投稿した庭の朝顔ですが、予想以上に増えました。



朝顔は非常に強い植物で、過去にアメリカで行われたバイオスフィア2(外部と切り離された空間で生態系を再現する)という実験において、他の植物が死滅する中でも繁茂していたそうな。

庭に生えている分にはかわいいものです。最近の夏は暑すぎて困りますが、少しでも夏を楽しめたらと思います。

 
スパムコメント 2025年07月31日(木) 20時45分  
スパムというのは缶詰の名前だそうですが、インターネット上でスパムと言えば迷惑な宣伝などを指します。

これ、このブログにも良く来るんですが、何とかならないものですかねぇ。このブログを見に来てくれる方よりもスパムコメントの方が多いレベルです。コメントは承認後に表示される設定にしているので荒れることはないのですが、削除するのも面倒くさい。

平穏なインターネット環境を切に願う次第です。



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