このシリーズでは百人一首を順に解説していきます。
ゆくゆくは百首全ての解説を目指します。
[ 番号 ]
第十三句
[ 歌 ]
筑波嶺の 峰より落つる 男女川 恋ぞつもりて 淵となりぬる
[ かな ]
つくばねの みねよりおつる みなのがは こひぞつもりて ふちとなりぬる
[ よみ ]
つくばねの みねよりおつる みなのがわ こいぞつもりて ふちとなりぬる
[ 現代語訳 ]
筑波山の峰から流れてくる(最初は細い流れだったものが流れ下るうちに次第に水かさが増して深い淵になる)男女川のように、私の恋もだんだんと思いが募って淵のように深くなってしまった。
[ 品詞分解 ]
筑波嶺【名詞】 の【格助詞】 峰【名詞】 より【格助詞】 落つる【タ行上二段活用動詞「落つ」連体形】 男女川【名詞】 恋【名詞】 ぞ【係助詞】 つもり/て【ラ行四段活用動詞「つもる」連用形+接続助詞】 淵【名詞】 と【格助詞】 なり/ぬる【ラ行四段活用動詞「なる」連用形+完了の助動詞「ぬ」連体形】
[ 文法 ]
・三句切れ。
・「筑波嶺」は歌枕
・「川」と「淵」は縁語
・「筑波嶺の峰より落つる男女川」は「淵となりぬる」を導く序詞
・恋「ぞ」つもりて淵となり「ぬる」で係り結び
[ 読み人 ]
陽成院 (ようぜいいん)
第57代の天皇である。つまりは陽成天皇であるが、この歌は天皇を退いた後に詠んだ歌であるから、作者名は陽成院となっている。「院」とは天皇の位を退いた後の呼び方。当時の歌は貴族のたしなみであったから、当然多くの歌を詠んだだろうと推察できるが、現代まで伝わっているのは百人一首にあるこの一句のみである。当時としてはかなりの長寿で、80年以上の天寿を全うした。9歳の時に即位したが、17歳で退位しており、天皇としての在位は10年に満たない。その理由には諸説あり、病弱であったから、失政が多かったから、また、摂政(幼少の天皇を補佐するお役目)であった藤原氏と仲が悪かったからなどと言われている。
[ 決まり字 ]
2字
[ 解説 ]
次第に募る恋心を、流れるうちに大きくなっていく川に例えて詠んだ歌。 後に妃となる綏子内親王(すいこないしんのう)へ送った歌であると伝えられている。筑波嶺とは茨城県にある筑波山のこと。当時の都は京都であるから、筑波山は遥か彼方の山であるが、万葉集には筑波山を詠んだ歌が20種以上も掲載されており、名の知れた山であったことが伺える。当時、筑波山では、男女が集まり、互いに歌を詠み合って遊ぶ「歌垣(うたがき)」という行事が行われており、そこで結婚相手を見つけることも多かったようだ。そんな風習から、筑波山は恋の山という印象が強かったようである。
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