最近、雨の日が多いですね。東京では豪雨を連続で観測した日の最長記録を更新したとか。
雨が降ると、出かけるのがおっくうになったり、洗濯物が乾かなかったり……。やはり、晴れている日のほうが気持ちよく過ごせます(暑いのはそれはそれで嫌ですが笑)。
そんなことを考えていたとき、ふと百人一首の一首が頭に浮かびました。
「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ
わが衣手は 露にぬれつつ」
天智天皇の歌です。
秋の田のそばにある仮小屋は、屋根を葺いている苫の目が粗いため、そこから露が入り、私の袖は濡れ続けている――そんな情景を詠んだ歌です。
何となく良い雰囲気を醸し出していますが、改めて考えてみると、これも「衣服が濡れてしまう」という、現代の私たちからすれば少し困った状況を詠んだ歌なのですよね。無粋と言われればそれまでですが。
そして、秋の雨といえば、こんな歌もあります。
「秋萩を 散らす長雨の 降る頃は
ひとり起き居て 恋ふる夜ぞ多き」
秋萩の花を散らしてしまう長雨が降る頃には、ひとり起きて、恋しい人を思う夜が多くなる――という意味です。
こちらは、雨そのものを嫌がっているというより、秋の長雨によって散っていく萩の花を見ながら、恋しい人を思い、ひとり夜を過ごす寂しさが詠まれています。
現代の感覚なら、「また雨か。洗濯物が乾かないなあ」となってしまいそうなところを、昔の人は「雨で萩が散ってしまうなあ。こんな夜は、あの人のことを思ってしまう」と感じていたわけです。
そう考えると、雨の日も少し違って見えてきます。
窓の外を眺めながら、ただ「雨だなあ」と思うのではなく、「秋の長雨」という言葉を思い出し、昔の人も同じように雨を眺めていたのだろうか、と想像してみる。
雨音を聞きながら百人一首や万葉集の歌を読むのも、なかなか風情がありそうです。
もちろん、現代人としては「晴れてくれたほうがありがたい」という気持ちは変わりません。傘を差して出かけるのも、濡れた靴を乾かすのも、雨続きの中で洗濯をするのも大変です。
それでも、雨を完全に「嫌なもの」として片付けてしまうのではなく、昔の人が残してくれた和歌を通して眺めてみる。
そうすれば、秋の長雨も少しだけ趣のあるものに感じられるかもしれません。
10月は晴れの日が続くことを祈りつつ、雨なら雨で、楽しむくらい心に余裕を持ちたいものです。
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