[ かな ]
このたびは ぬさもとりあへず たむけやま もみぢのにしき かみのまにまに
[ よみ ]
このたびは ぬさもとりあえず たむけやま もみじのにしき かみのまにまに
[ 現代語訳 ]
今回は急な行幸であったため、神様へのお供え物をご用意する暇もありませんでした。この手向山の錦のようなもみじをご自由になさってください。
[ 品詞分解 ]
こ/の【名詞+格助詞】 たび【名詞】 は【係助詞】 幣【名詞】 も【係助詞】 とりあへ/ず【ハ行下二段活用動詞「とりあふ」未然形+打消の助動詞「ず」終止形】 手向山【名詞】 もみぢ【名詞】 の【格助詞】 錦【名詞】 神【名詞】 の【格助詞】 まにまに【副詞】
[ 文法 ]
・「たび」は「旅」と「度」の掛詞。
・「幣」と「手向け」は縁語。
・二句切れ。
[ 読み人 ]
菅家(かんけ) [男性]
菅家とは菅原道真(すがわらのみちざね)を敬った呼び方。平安時代の貴族。歌人としても有名であるが政治家としても大いに成功し、時の天皇の信頼も厚く、一時は右大臣を務めるまでに出世したが、藤原時平によって左遷され、九州の太宰府へ流されてしまう。そのまま太宰府でなくなった。彼を葬った寺の跡地に立つと言われるのが現在の太宰府天満宮である。左遷されなくなった経緯から、朝廷を恨んで死後に数々の祟りを起こしたとされ、その霊を鎮めるため京都の北野天満宮に祭られている。後に学問の神様として有名となった。
[ 決まり字 ]
2字
[ 解説 ]
幣とは紙などを細く切って垂らしたもので、お供え物として神様に供えた。旅に出る際はこれを道祖神(道の神様)へ供え、旅の安全を祈願することが習わしであった。その幣の代わりに、幣よりも美しいもみじを神様に供えた様を歌った歌である。歌の解釈としては、幣を準備する暇がなかったので代わりにもみじを供えたというものと、幣の準備はしてきたもののもみじの美しさには敵わないので代わりにもみじを供えたというものの2とおりがある。なお、手向山とは特定の場所を指す地名ではなく、幣を供える山として各地に存在した。そのため、この歌に詠まれた手向山がどこで会ったのかははっきりとは分かっていない。
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