第一句から十句までで二年以上かかった…このペースだと百句やるまで二十年以上掛かる…うーん…。
[ 歌 ]
第十句 これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関
蝉丸(せみまる)
[ 現代語訳 ]
これがあの、京都から出て行く人も帰ってくる人も、知っている人も知らない人も、別れてはまた会うという逢坂の関なのだなあ
[ 品詞分解 ]
これ/や/こ/の【名詞+感動詞+名詞+格助詞】 行く【カ行四段活用動詞「行く」連体形】 も【係助詞】 帰る【ラ行四段活用動詞「帰る」連体形】 も【係助詞】 別れ/て【ラ行下二段活用動詞「別る」連用形+接続助詞】 は【係助詞】 知る【ラ行四段活用動詞「知る」連体形】 も【係助詞】 知ら/ぬ【ラ行四段活用動詞「知る」未然形+打消の助動詞「ず」連体形】 も【係助詞】 逢坂の関【名詞】
[ 文法 ]
・「これやこの」は品詞分解すれば「これ/や/こ/の【名詞+感動詞+名詞+格助詞】」となるが、全体で「これがあの~なのだなあ」という詠歎の気持ちを表す慣用句である。「や」は感動、詠歎を表す間投助詞。
・「行くも帰るも」と「知るも知らぬも」は対句。
・逢坂(あふさかと書き、おおさかと読む)の関は「逢ふ」と「逢坂」の掛詞。
・「逢坂の関」で体言止め
[ 読み人 ]
蝉丸
詳しいことは良く解っていないが、平安時代前期に生き、歌にも出てくる逢坂の関の近くに住んでいたようだ。琵琶(楽器の一種)の名人でもあったようである。
[ 決まり字 ]
2字
[ 解説 ]
多くの人が行き交う逢坂の関を思い、その出会いや別れに思いをはせる歌である。逢坂の関は今の京都府と滋賀県の境目にあった。平安時代の人々はここを通って東国へと旅立っていった。ちなみに東国とは京都よりも東の地方を指す総称。平安京を中心と考えていたので、それより東と言うことでそう呼ばれていた。この歌もそうであるが、「あふさかのせき(逢坂の関)」と「あふ(逢ふ)」が掛詞として非常に使いやすく、また、東国へ向かう交通の要所であったことから多くの出会いや別れがあったことは想像に難くなく、そのような場面を連想しやすかったからか、逢坂の関は多くの歌に詠まれている名所である。現在でも交通の要所で、国道一号線や東名高速道路はこの周辺を通過している。東海道線や東海道新幹線と言った鉄道も、トンネルでではあるがこの周辺を通過している。残念ながら前記の道路建設などのため地形が変わっており、当時の関所があった場所は定かではない。ただ、関のあったと思われる付近には現在、蝉丸神社という神社があり、蝉丸が神として祀られている。
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